音楽のお話 過去ログ
第4話 「剽窃」とは「他人の思考、著作、発明を自己ものとして使うこと」 (曲はリンク作成中です)

「剽窃」とは「他人の思考、著作、発明を自己ものとして使うこと」
であること、オックスフォード辞典には定義されているが、もし
そのとおりだとすると、音楽辞典に名前ののっているすべての
作曲家は、例外なしに剽窃者だとなるであろう 詳細はこちら

リヒャルト・シュトラウス

「世界中に知られざる偉大な音楽が非常にたくさんある。
どうして私がもういちどそれを使ってはいけないのか」

彼は「盗用」という非難にたいしてミ然とこう答えた。

シュトラウスはある日、<サロメ>の上演を指揮してきた
バルセロナからの帰りの汽車の中で見知らぬ人といっしょになった。
その人は実はスペイン人の指揮者ラサルだったのだが、彼の顔を
しげしげと見ると、突然口笛を吹き始めた。

シュトラウスは思わず笑って、その先を続けた。
「もちろんですよ」彼は満足げに付けくわえた。<サロメ>の
主題がロッシーニの<セビリャの理髪師>の中にあるということは
私はよく知っているんですよ。
ふたりはそれからよき友人となった。

ブラームス

「あなたの<ハ短調交響曲>はすばらしい」とある人があるとき
ブラームスに言った「ただ残念なのは、フィナーレの主題が、ベートーベンの
<第九>をすぐに連想させてしまうことです」

「ああ、そうですね」とブラームスはそれに答えた。
「そしてもっと残念なことは、馬鹿者どもがみなすぐにそれを連想しないでは
いられないということです」


バッハはコレッリやヴィヴァルディの旋律をたくさん利用しているし
彼の偉大なる<ハ短調のフーガ>の主題は、一音一譜すべて
ヨハン・マッテゾンから出たものであった。

ハイドンはクロアチア民謡とジプシーのメロディーを使い

モーツァルト<フィガロ>の中のファンダンゴは、グルッグの
<ドン・ファン>から<魔笛>の序曲の根本主題は、バッハの
<変ホ長調フーガ>から来ている。
モーツァルトの<バスティアンとバスティエンヌ>
序曲と35年後に書かれたベートーベンの<エロイカ>との
間には、驚くべき類似が存在する。

フンメルはあるとき、どのような美しい考えがもとになって、
あのうっとりするような<変ホ長ロンド>ができたのか、と聞かれた。

「バッハの<嬰ハ短調フーガ>の基本主題ですよ」と彼は
あけすけに答えた。
「それから八十ドゥカーテンの儲けを期待してね」

ロッシーニとなると、もうなんのためらいもない泥棒のようなものである。
<セビリャの理髪師>の中の「ツィッティツィッティ」は
ハイドンの<四季>の中の「早くも農夫は喜び急ぐ」であり
<アルジェのイタリア女>の中の「美しき女のために悩む」は
モーツァルトから<コリントの包囲>の序曲第一主題は、明らかに
ベネディット・マルチェロの<詩篇二十一>からもってきたものである。

リヒャルト・ワーグナーの犯科帳を作ってみると
いずれも軽い借用であるが、<ローエングリン>(甘き恐怖はわれらを
捕う)のためにメンデルスゾーンの<ヴィルプルギュスの夜>から
<タンホイザー>行進曲ではヴェーバーの<魔笛の射手>から
<ローエングリン>の「エルザの夢」では同じく<オベロン>から
<マイスタージンガー>(友よ、盛りの若き日に)では
ニコライの<ウィンザーの陽気な女房だち>から
トリスタンの愛のモティーフには、ベルリオーズに<ロメオ&ジュリエット>
(ワーグナーはこの主題を「今世紀の最も美しいフレーズ」とあつかましく
も呼んでいる。

そして<バルジファル>の鈴の音はリストから出ているものである。
「聞いてみれば、そんなふうにも聞こえる」とワーグナーがこの箇所
を聞かせたとき、リストは言った。
そして、ジェームズ・ハニカーはかつてこういったことがある。
「ワーグナーはお金と好意と女房ばかりではない、もっともっと
リストのおかげを被っているのだ」

ブラームスは、彼自身の言葉によれば、気にいったものを取るのに
なんの躊躇もしなかった(かつてクララ・シューマンを惹きつけた
ように・・・彼がオリジナルな作品だと言ったことのない
<ハンガリー舞曲>(これはほとんどまったくジプシーのメロディーだ)
を別にしても<ハ長調三重奏曲>ではシューベルトの<海べで>
の反響が、イ長調のヴァイオリン・ソナタでは<マイスタージンガー>
から <交響曲第三番>の第三楽章ではシューマンの<ニ短調交響曲>
のロマンスからの反響が聞かれるように思われる。

メンデルスゾーンはカンタータ<ラウダ・シオン>の中のアリア
(主よ、いつのときも)はバッハのマニフィカトの一曲に、
エロールは<ザンパ>の序曲をヘンデルの<調子のいい鍛冶屋>に
負うている。

ヘンデルの場合は少し変わっている。
そんな例もなく、その上をいくものもでてこないであろう。
彼の全作品は、たとえばハイドンとモーツァルトとベートーベン
を会わせたものに等しい。
彼の場合は、こちらで一小節もらい、あちらでヒントを得ると
いうのではなく、大掛かりにそっくり頂戴してしまったのである。

この辺り どこかの音楽家と称する方にそっくりではないか
第3話 クララ・シューマン(ヴィーク)

一つか二つの誤りをいわせて下さい。
それは、主として私の父に関する事です。
・・・・・
なにか重要なことが芸術の分野で達成できるというのならば
その人の受けたすべての教育と人生の歩みは、一般のものと
違っているに相違ありません。

私の父はそれなりの見識を持っていて、ピアノレッスンでは、身体的
および芸術的な成長につねに気を配っていました。
私にたいしては、子供のころには、一日二時間以上、練習させることは
ありませんでした。

しかも、私の神経を鍛えるために、父は私を連れて、ピアノ練習と同じ
時間散歩するようにし、私を真夜中になる前に就寝させるようにしていたので

そんなパーティーのときでも、十時にはいつも帰途につくようにしていました。
舞踏会には、踊るためよりも、他のことのために健康が必要なのだといって、
決して、一緒にでかけることはなかったのです。

しかし、オペラには、いいだしもののときには、必ずつれていってくれました。
こうして私は、早くも少女時代から、著名な芸術家たちと交際をもつように
なったのです。
こうしたきびしいレッスンを理解できない人たちは、それを残忍だとみなし

私の子供のころの成長のなかで、よくなしとげたと思われるような
事は、私が夜となく昼となく勉強しつづけなければ不可能だっただろうと考えられて
いました。
ところが、実はそうではなくて、それはまさに教育者としての父の優れた才能に
よるものだったのです。

それによって適切なレッスンと、私の精神と性格のトレーニングだけで
私を進歩させたのです。

悲しい事に父が考案した方式を、父は他人に適用する事ができなかったのです。
私は生涯を通じて、父のいわゆる、残忍さに感謝しています。

 (1882年10月10日)クララ・ヴィーク(シューマン)
                   
                               
 価格: ¥3,230 (税込) 
           CD ディスク枚数: 3 

                                                    


クララ・シューマン全ピアノ独奏曲集です。サンプルも全曲今(2005.6.1)は聞けるみたいです。
ショパンやリストの時代にヨーロッパ中にその名を知られた女流美人ピアニスト
クララ・ヴィーク(シューマン)どれも優れた曲です。 
DC1の12曲目Op. 6: Notturno In Fにショパンのフレーズが顔を出すところなんか微笑ましく思います。

このCDでしか聞けない曲も入ってます。はっきりお薦めです。
一度廃盤になったのですが、運よく再発されました これを逃したらちょっと運ないかも・・・
というか手に入らないかな(たぶん
私の個人的な意見ですが、なぜ発表会などに取り上げられないのか不思議です。

第2話 ルッジェーロ・レオンカヴァルロ

1851年、イタリアのカラブリア地方で恐るべき犯罪が行われた。
ある旅音楽師が妻の密会の現場を捕まえ、その日の夜、舞台にでている間に、聴衆の
目の前で哀れな妻を刺し殺したのである。

殺人事件の審理中、彼はなんども挑戦するように叫んだ。
「俺は後悔していない。もう一度だってやってやる」
結局、彼は、懲役30年の刑に処せられた。裁判長はイタリアでもっとも声望のあった
裁判官の一人、ヴィンチェンツォ・レオンカヴァッロ・であった。

彼は、夕食の卓をかこんで妻と子供に、この事件のもつ人間的悲劇性を、悪魔にそそのかされたように、この世で一番大事な財産であるはずの妻から裏切られて、ついに殺害うすることに
至った哀れな夫の事を、話して聞かせたという。
裁判官の七歳の息子ルッジェーロは、大人たちの話すことをもちろん全部理解することは
できなかったが、息をころして注意ぶかく聞いていた。

そしてそれが、後年の迫力ある傑作を生むことになったのである。
イタリアンオペラ超名作


第一話 ショパン
 
シャルル・フィルシュ このショパンの弟子について
フランツ・リスト がいった。「あの子が歩き出したら 、私は店仕舞いするよ。」
更新は不定期です。残念な事に このシャルル・フィルシュは、15の春を越さずに結核で亡くなった。

ショパンは弟子には、まったくめぎまれていなかった。
唯一の才気ある天才で、15歳のときに死んだ少年、カール・フィルチェ(シャルル・フィルシュ)
を別をすれば、ショパンの弟子たちは凡庸な人間であった。その中の誰として名をなす者は
いなかったし、また重要なあらゆること、つまりテンポ、フレージング、ペダル用法、一般的な強弱法
一言でいえば、スタイルを具体的に述べている明確な言い伝えを後世に残すだけの能力もなかった。

リストはしばらく差しおくとして、クララ・シューマンを除けば、ドイツの一流のヴォルトゥオーソたちの中
で、個人的な経験からショパンのスタイルを熟知していた者はひとりとしていなかった。
そしてこの世紀の終わり頃に、クララ・シューマンの演奏したショパンが「ひどくおとなしい」もの
と考えられて、ほとんど評判にもならなかったことは、
ショパンがかつて、「彼女はドイツにおいてぼくの音楽の演奏法を知っている唯一の女性だ」と
いった事実があるだけに注目すべきである。

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クララ・シューマン物語

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