作曲現場の変容

売れるのが音楽ではなく、サウンドの塊となった時代において、従来の作曲家と呼ばれた人達が姿を消した今も作曲家としての職は残っている。物事をその質ではなく、注目度とか知名度みたいな数値で測るようになったのはいつからだろう。

音楽の大量発注

多くの作曲家やソングライターに声をかけ曲数を集め、そこからいいと 思われる楽曲を選び、歌詞を作詞家やソングライターにつけてもらい、(これも競作のコンペ形式である)出来上がったものの中から、シングルA面にふさわしい曲を選ぶ」という形に業界が変化した。これは職業作詞家、作曲家、ソングライターの存在基盤を危うくしてしまった。

コンペに負けても、広告の世界と違い、参加費は払われない。よく言えば 実力勝負、悪く言えば、使い捨てである。しかし楽曲を集めなければならない制作サイドにとっては、すこぶる効率のよいものである。

かつてのような職人肌の職業作詞家や作曲家が消滅したのは、コンペ参加料のないシステムでは食っていけないからにすぎない、たとえば2週間で4、5曲書いて、全部落ちたとすれば、時給はゼロ、年齢が30過ぎて、家族もいる場合、収入が2週間でゼロ円では生きていけないのである。

大量発注の時代を作ったのは誰だ

記憶の限りでは最初にこのシステムを導入したのは、ジャニーズ事務所だ。 レコード会社に頼らず、自前の音楽出版社で新曲を大量生産するための効率を考えたときに、編み出されたのが欧米に倣った、コンペ方式だったという事だろう。アーティストは業界の付き合い上、各レコード会社に振り分けなければならない。だが司令塔をジャニーズ音楽出版にしておけばコントロールが効き、発売日や歌のテーマがかぶらないようにするのも指揮系統が一つであれば、やりやすいのは当然だ。この事務所の優れた点は、旬の作家 ときには、ニコ動の作曲家からアニソンの作家まで指名してしまう選択眼が優れ、同じ楽曲集めでも他社に比べ、はるかに効率がよいところだろう。

いまや大量発注は、ジャニーズだけではない。いまや一般レーベルのトップにいるクラスの歌手は、ほとんどがそのシステムを採用している。年頭に抱える当該アーティストを想定した楽曲を、あちこちに声をかけて200曲あまりを集め、そこから年間に必要な曲数をピックアップし、1年間のリリースローテーションを決めてしまう。この時点で、時期の移り変わりとともに流行が存在する歌詞はつけない(つまり仮歌(実際の歌詞の場合もあるが、コードネームを仮歌として歌う場合もある状態だ)

このようなシステムが普及すると、当然のように、その下に属す音楽作成事務所のようなものがでてくる。仲介屋のようなものである。音楽ブローカーは昔から 存在したが、規模が大きくなれば、単独のブローカーではなく、会社組織として成り立たせることができる。プロフェッショナルも自称クリエーターでも 同じスタート地点で実力勝負できますという事だ。当然競争が激しくなるにつれ、クリエーター側の負担は大きくなる。私の想像だが、今後は作曲だけではなくサウンドクリエーターとして楽曲、時にはマスターまで自宅で作成させ、そのクオリティーを競わせ、更には速さまでも競わせるという本来の目的とは違う世界に突入する日も近いような気がする。大手の音楽出版社にとって、CDが売れない時代、前段階での削減が急務であることは確かであり、そのためには、どこを削るか、できれば売れなかった場合での負担も軽減しておきたいということから、趣味で機材を集めて 楽しんでいた自称クリエーターなどは、かっこうの標的になってしまった。いつの世でも、何某と呼ばれたい自称何某の有り余る自己顕示欲を利用する商売が尽きたことはないのだ。

私は昔はよかったというノスタルジーを語りたいわけではない。なぜなら私が幼少の時代においても、昔はよかったという人たちは存在した。その人たちが幼少時代には やはり昔はよかったという人が存在したであろう。だったら何時が良かったんだという事になってしまうのだから。情報を取り入れても思考力は磨けない。座学だけが重視され、勉強なるものができる人が社会をつくるのが当たり前になってきた世の中に未来があるとは思えない。効率のよい試験向けの勉強は、時間のかかる読書をしようとはしない。時間がかかる本は、時間をかけて読まなければならないものだ。簡単に読める進みのよい本はそんなものでしかない。ゆっくり読まなければならない本は、ゆっくり 読めばいいのだ。そういう本は、言語の体系が違うのだから。効率や便利から距離をとることは、大切な事だと思う。便利になったがゆえに時間がなくなる人たちだって でてくるかもしれない。読む側の人は、書くことはしない、聴く側の人は、作る事はしない。

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